廃仏毀釈を主導したのは、排仏思想を担っていた平田派及び津和野派の
国学者・
神職、
水戸学の同調者、そしてこれらの影響を受けた新政府が派遣した行政担当者たちだった。
神社信仰とは本来、氏族あるいは地域単位において、
恒例化した祭礼の反復によって実施されるのが通例で、
そこにあるのは国家・氏族単位による祈願のみであった。
ところが、
本地垂迹説が進展し、現世・来世を問わず個人的願望の充足を満たす存在として
仏菩薩と神が同体であると観念されるようになった結果、
神社に対しても個人祈願を行う傾向が出てきた。(以下挫折)